他山の石 「剣は自分自身に」  茄子作 九

 聖徳太子の精神を端的にあらわす文書として、有名な憲法十七条があります。その中でも、第十条に注目させられるところです。
第十条は「他人が自分と意見異にするからといって怒ってはならない。人にはみな思うところがあり、それぞれ正しいとしているものだ。彼が善しとしていることを私は悪しとし、逆に私が善とすることを彼は悪とする。」と述べられて行きます。
 摂政として、あの横暴なな蘇我氏と共に国政にあたる太子の苦衷がにじみ出ているように読めます。太子の目からすれば、全く正しくない蘇我馬子・蝦夷父子の言動。しかし、太子は和を重んずる宗教者です。しかも、なんと太子の体中のは蘇我氏の血が流れていて、彼をして、ひたすら、内面的に苦悩せしめ、このような自戒の言葉を結晶させて行ったのでしょうか。
そして、「自分は必ずしも聖人ではないことだし、彼は必ずしも愚者ではないではないか。よくよく考えてみれば、彼も私も共に凡夫にすぎない」と、沈痛に屈折しているのです。
それも、「彼に対して怒りをもよおす事があっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省しなければならない」と、剣は自分自身に向けているのです。
 「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目
の中の梁には気がつかないのですか」という主イエスの言葉〈マタ
イ7・3>や、「あなたは他人をさばくことによって、自分自身を.
罪に定めています」という使徒パゥロの言葉〈ローマ2・1>の、
こだまのように聞こえるのです。

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