キリストの最初の弟子 ヨハネ1:35~45

「二人の弟子は・・・・イエスのついて行った」 ヨハネ1;37
イエスの救世主としての公生涯の開始です。この時に、あたって弟子の選任は、将来のキリストと教会を負った立つ者であって責任重大です。
ところが福音書記者が録すのは「イエスのついて行ったふたりのうちひとりはシモン・ペテロの兄弟のアンデレであった」と。さぞや、学歴においても、信仰歴においても、弁舌においても秀でた人物であっただろうと想像したくなる二人ですが、特にアンデレにおいてはイエス十二使徒の一人と選ばれたのですが聖書には、ここを含めて3回しか登場して来ません。
一回目は、兄弟にシモンをイエスの元に「来たりて見よ。」と、連れてきました。アンデレは小物でしたが、シモンはやがての大使徒ペテロでした。
2回目は、イエスのパンの奇蹟の時、わずかな、パンと魚を持った「少年」をイエスの前に紹介し、その、少年の差し出す「パンと魚」で5000人以上の群衆に、余るほどパンと魚を奇跡的に分け与えた、という大奇蹟の陰の功労者にアンデレはいました。(五章5~11節参照)三回目には、お祭りにやってきていたギリシャ人をイエスに紹介しているのもアンデレでした。(12章20~22節)アンデレは何千人の群衆に大演説をずる賜物をもった弟子ではなかった。弟子仲間の看板スターではなかった。しかし、彼の登場するところ、どこでも、いつでもイエスを、他の人に紹介することに徹していました。
私たちも、大伝道者、長老教会を負って立つといった力量もありません。でも、アンデレイエスを紹介することによって、イエスの愛弟子として大活躍するペテロが誕生し、この大使徒も小アンデレがいなければ生まれなかった。また、5000人にパンの奇蹟もアンデレの隠れた功績がなければ行われなかったかも知れません。
私たちも、世界に向かって獅子吼する大伝道者の力量はない。しかし、「私はキリストに出会った。」「あなたも来たりて、見よ」と人を、イエスのもとに誘うことは出来るのではありませんか。
キリストは弟子の第一号に、このアンデレを選ばれた。その人選は間違っていなかった。「なきが如きもの、弱き者を選び・・・・、それは、誰も誇る事のないため」と、パウロのことばが響いてきます。

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