他山の石 「慈善の師弟も」23  茄子作 九

 叡尊(えいぞん)、忍性(にんしょう)と云っても、ご存知ないかたが多いことでしょうが、鎌倉時代に慈善活動で奮闘した律僧として、もっと銘記されてよい師弟です。
 叡尊は、「非人救済」、すなわち乞食への施しや、「殺生禁断」、つまり生きものの漁猟を禁じて、戒律の実践に献身しました。そのころ老朽化していた宇治橋を造営したかわりに宇治川での漁をやめさせて生斉救済を期しました。
 弟子の忍性も、非人や捨て子の救済にあたり、囚人に手をのべ、橋を架けること百八十九、道を開くこと七十一、井戸を掘るること三十三と云われました。
 とくに奈良北山に建てた癩者の施設・北山十八間戸は有名です。馬病舎も設けて、獣畜にあわれみを施すことも実践しました。
しかし、これらの事業が、人々の尊敬を受けるはかりであったかというと、そうではなく、反対の声が高かったことは考えさせられます。
 「摂生禁断」と云っても、そのために漁師や猟師たちは職を失わざるを得ません。また、慈善費が通行税などによって調達されたりしました。「乞食や魚のために真面目に働いている者が犠牲になるとは何事か」と云うことで、あの日蓮も攻撃の側に立ちました。
 さらに、悲しいことには、当の乞食たちが、次第にゼイタクになり、感謝を忘れて不平をもらし、施し強請するようになり、ついにはその欲得のため、乞食同士で乱闘に及ぶのでした。ナンということを、やんぬるかなや、なのでした。
 慈善事業の限界でした。根本は、人の心そのものの改造、いや生まれかわることでした。
「人あらたに生れずば、神の国を見ることあたはず」<新約聖書・ヨハネ三章3>と云う、聖書のみことばが底深いところから聞こえて来るような気がします。

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