旅は道づれルカ24:13~35

2009 年 4 月 12 日 日曜日

「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らないのですか。」      ルカ24:18
  イエスが日曜日の朝早く墓を破って復活されたというビッグニュースは、瞬く間にエルサレム中の話題になったようです。それが、上に上げた 18節の言葉です。
 二人の男が都エルサレムから11キロ離れたエマオという村に行く途中、キリストの復活の話題で、けんけんがくがくの論争しながら旅を続けていたというのです。そこへ、当の復活のイエスが仲間に入ってこられたというのです。そして、イエスは二人に「何をそんなに熱心に話し合っているのかね」と訊ねられました。そこで、彼らはあきれ顔で、いま都で話題沸騰の「復活のイエスさまのことを知らないのですか。そんなのあなただけですよ。」と、語り始めたのが19節から25節です。そこで、彼らは女たちがイエスの墓に行くと中は空っぽで亡骸は無くなっており、天使が「イエスはよみがえられた」と告げ、そのことを何人かが確認しているのに、エマオへの旅人は半信半疑で十分確信が持てないまま、あれやこれやと論争を続けていたというのです。そこでイエスは「なぜ聖書にキリストは必ず殺されてよみがえると予言されており、また私自身も何度も自らの復活については予告してきたはずではないか。愚かな人たちだ」と悲しんで言われました。
 エルサレムには誰も否定しがたいほど歴然と「復活」が話題になっているのに「半信半疑」「信じがたい」と復活の事実の受け入れをためらっているのは、復活が事実か否かの問題でなく、それを聞く人間の中に「人は死ぬ。」「死んだら誰も生き返られない」という先入観というか固定観念ができあがっていて、その人間の小さな体験、経験から来る「井戸の中の蛙」式の信念を超えられないところに問題があるのではありませんか。「人は死ぬ。そして生き返られない」、しかし、キリストは人となられた神であれば、この論理は即座に成立しなくなります。「キリストは人となられた神である。だから十字架で死んでも三日目によみがえられる事は出来たのだ」と、考えれば、容易に解決できる問題であったはずです。 イエスは、この頑固で愚鈍な二人の弟子に、宿場でパンを裂き手渡したときに、十字架のなまなましい傷を通して、論より証拠とばかり復活の御自身を明らかにされました。

復活はたわごとか ルカ24:1~12

2009 年 4 月 5 日 日曜日

「ところが使徒たちは、この話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」            ルカ24:11。
  イエスは無惨にも十字架上で死にました。どんな「聖人、賢人」の伝記物語も死をもって一巻の終わりです。
    生まれては死ぬるなりけり
おしなべて 釈迦も孔子も猫も杓子も  一休
   このルカが録した「イエス伝」も十字架の死をもって終わりかと思えば、続きがあるのです。女たちがイエスが死んで3日目の朝早く墓に行くと、横穴式の墓で、入り口にはローマの兵卒が仕掛けた大きな石の蓋が封印までされていたはずなのに、墓はポッカリ口をあき、中は空っぽ。イエスの死体をどこを探してもなかった。イエスはよみがえられたのです。イエスは生前何度も「我はよみがえりなり、生命なり」と、また三日目によみがえられることを預言されいました。女たちは、イエスの復活を信じて、男の使徒たちにすべてを報告します。「ところが使徒たちは、この話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」復活信仰は初めから容易に受け入れられたものではありませんでした。キリストから直接訓育を受け、キリスト教会の将来を託されていたはずの使徒たちさえ「たわごと」と耳を貸さなかった事件であったのです。
 しかし、行動派のペテロは、すぐ墓に向かって飛び出して行き、女たちの報告を確認しようとします。しかし、12節「墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて帰った」。キリスト教にはイエスの遺骨はない。ところが、仏教では、釈迦の遺骨は「仏舎利」といって、世界各地に「釈迦の真骨」と恭しく葬られている。日本では名古屋市千種区城山新町の 「日泰寺仏舎利奉安塔」は有名です。
  イエスの遺体が無くなった事に、昔からいろいろな説があります。.
   まず、クリスチャンたちが盗み出して「イエスは預言通り復活した」と、でっち上げの復活信仰を作り出したというもの。もっともらしく聞こえますが、これには、初代教会のクリスチャンたちが、復活信仰を信じて拷問にあい、迫害されて殉教していること。特に、キリストの直弟子である使徒の殆どが殉教している事実。ねつ造した復活信仰に、一人でなくたくさんのクリスチャンが殉教していった事実は「クリスチャン盗難説」は、成立しないと同時に復活の事実をむしろ印象づけることになるのではありませんか。
 そのほか、おもしろ半分でローマ兵がイエスの遺体を盗んで隠した。また。イエス憎しの神殿宗教家たちが、墓からどこかに捨てたのでは、といろいろな事が言われてきました。しかし、どれも、「空っぽの墓」の説明にはなりません。初代キリスト教時代に、キリスト教は復活信仰をもとに破竹の勢いで成長発展していきます。誰かが隠し盗んだものなら、「見ろ。馬鹿ども。ここにお前たちのイエスの死体はあるではないか」と、公開すれば、それが事実なら、その瞬間にキリストの復活信仰など消えて無くなり、いや、キリストの復活なければ
キリスト教そのものも十字架の死で終わっていたはずです。
復活は「たわごと」ごときでなく、私達の死生観を変える大事件であったのです。

アリマタヤのヨセフ ルカ23:50~56

2009 年 3 月 29 日 日曜日

「この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。」  ルカ23:52
 イエスは十字架上で絶命。次は葬儀です。ここに突然、いままで聖書の中に登場していなかったアリマタヤのヨセフなる男の出現です。50節を見ると、「ヨセフという議員のひとりであって、りっぱな、正しい人であった。」と紹介されています。名誉も資産もあるヨセフが今になってキリストの亡骸を引き取ると言うことは、日頃から、口に出してクリスチャンだあることを告白はしていなかったが、いわゆる隠れキリシタンのたぐいであったと思われる。
 それなのに、今ここに至ってキリストの死、ローマの百人隊長をして「この方はまさに神の子」と告白せしめた壮絶で偉大なる死に、接し、彼の今までの臆病で卑怯な信仰を恥じて、イエスのムクロを引き取ろうと・・・・それは、彼に一世一代の大決心であったはずです。
 なざなら、イエスはほかの罪人と同じく処刑されたのあって、イエスには神を恐れぬ冒涜者、ローマに反逆する治安騒擾罪など恐ろしい罪名がつけられたいたのです。だから、ユダヤの議会が、また民衆が敵に回し、イエスへの理解と同情を持つ者はほとんどなかったはずです。
 ここに、アリマタヤのヨセフが総督ピラトのもとに、イエスの遺体を受け取りに行くと言うことは、彼もキリストの一派と思われ、社会的に築いてきた名誉も資産もみな失うおそれがあったはすです。マルコ15:43を見ると「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトの所に行き、イエスの身体の下げ渡しを願った。」とあります。彼は今までの我が身の保全のため、世間体をこだわり、思い切った信仰を表明することができなかった。しかし、今「主よ。赦し給え。今までの卑怯者を、臆病者を・・・・。いまよりあなたの弟子としたまえ」と、 祈りながら、黙々とイエスの遺体を葬ろうとしていました。
 第二次世界大戦のとき、日本でもクリスチャンたちは敵国お宗教を信じるものと、多くのクリスチャンや牧師は投獄され、獄中で殉死した方もいました。
 そんな中で、一人の牧師は神田の留置場に入れられていたとき、教会ではあまり目立たなかった、一人の美しいご婦人が、面会にこられ、その時代どこで手に入れたかおいしいあんころ餅が差し入れられた事があった。そのことが戦時中一番うれしかったと、戦後、私達神学生の前で証しをされたことがありました。官憲をおそれぬ堂々たる信仰告白だったのでしょう。
教会隠れキリシタンはいませんか。アリマタヤのヨセフのとように大胆に敢然とイエスを受け入れる方はいませんか。教会に先頭に立ってご奉仕に当たっていただける「ヨセフ」出でよ!!です。

 

 
  イエスを信じ慕う者あるか、アリマタヤのヨセフに続く者あればあれ。

実にこの方は義人なり ルカ23:44~49

2009 年 3 月 22 日 日曜日

「この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ「ほんとうに、この方は正しい方であった」        ルカ23;47
   イエスはついに十字架の上で息を引き取られ、死が確認されました。だれもが、強盗どもと三つの十字架の一つに、人々の嘲笑と呪いと侮辱のももとにイエスは死んだ。イザヤが53章で予言していたように、だれもが、彼は神に罰せられて処刑されたのだと思われていた。
 ところが、思いがけないところから「この方は、まことに神の子であった」<マタイ27:54>と感嘆の声をあげるものがいたというのです。
 それは、イエスを十字架にはりつけにするために責任者であったはずのローマの百人隊長であったというのです。
  イエスは死に際して、一人の死刑囚であった男を回心に導き、さらに、まさに死なんとするときローマの高官に神の証人となって、伝説によれば彼は後にクリスチャンとなったといわれています。
 彼の名は「ペトロニウス」といわれ、さらに、イエスの脇腹に槍を突き刺したローマの兵卒もイエスの荘厳な死にクリスチャンとなり、、その最後は殉教死したと伝えられています。(『殉教者伝』)
   ここで、思い出すのは、三浦綾子が晩年ガンやいろいろ難病に冒されながら信仰的書物の執筆活動 続けていましたがそのときの彼女の口癖は「私には死という最後の仕事が残っている」であったそうです。死を負として、残念無念として捕らえるのでなく、今まで生かしてくださった神に感謝し、与えられた使命の完遂のための最後の、まさにクリスチャンに与えられた「仕事」だったのです。イエスが息を引き取られる直前までその「仕事」に励んでおられたご様子を思い浮かべて、深い感銘を受けるのです。
 作家の山田風太郎は。古今東西の900人にのぼる著名人の「臨終図鑑」を書きにのこしているが、その臨終に立ち会った者は、誰一人も「この人はまさに神の人でした」と証言するものがいたと報告はされていません。
 イエスは「死刑囚」なる屈辱逆境の中にも、近くにいたローマ兵に強烈な「神いませり」の感銘を与えたと伝えられているのです。
 クリスチャンも死を、お葬式を通して、あの人は本物のクリスチャンであった。わたしも、あの人が信じた神を信じていきたい、と感銘を与えるかことができる最後の「仕事」し心がけたいものです。。

主よ。み手に ルカ23:44~49

2009 年 3 月 15 日 日曜日

「父よ。わが霊を御手にゆだねます」     ルカ23;42
イエスの人類の身代わりの贖い死が、今十字架上で、イエスの死によって全うされようとしています。
  三位一体の父なる神の特命を受けて、子なる神イエス・キリストは、人となって、人類の罪の咎、呪いを身代わりの受けて死ぬということは、私たちには想像を絶する悲劇的な神聖計画であったはずです。 それは、父なる神の「独り子給うほどに世を愛する」ことから始まり、その使命を全うするために、子なる神の悲壮な決意をパウロはよく理解して。、次のように述べています。「キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」(ピリピ2;8)人間の父が子を他人のために見殺しにする。これも悲劇です。それが父なる神と子なる神との間に行われたことは、私たちの理解を超えたまさに神聖悲劇であったといわざるをえません。
いよいよイエスは事を為し遂げ息を引き取らんとするときに発せられたことばが「父よ。わが霊を御手にゆだねます」でした。
  死は未知の世界への旅立ちです。私達にも、いつかは必ずやってくるその日に、私達はなんと口にするのだろうか。
  1951年にノーベル文学賞を受けた「バラバ」という作品があります。
主人公は、ユダヤの祭りにあたって特赦で釈放され、その代わりにイエスが十字架につけられたという聖書の記録があります。聖書には釈放されたのちのバラバの行動にはなんの記録もありませんが、スエーデンの作者ラーゲストヴィストは、その後の「バラバ」の生き様を書いています。
 彼は宗教とは縁遠い「殺人稼業」に明け暮れていたのでしょうが、処刑を目前にして釈放、そして自分に代わってイエスが処刑されるという事件に遭遇して、人生の不思議に神秘、宗教性を感じざるをえませんでした。そんなことで何度もクリスチャンの仲間に入ろうとするが、彼の世俗性が宗教の世界を拒んでしまう。そんな時、ローマに大火が起こり噂によればクリスチャンが放火したとのデマが飛び交い、それを信じてバラバはクリスチャンになろうとして、ほんとうに放火してまわる。そして逮捕。投獄、そこには多くのクリスチャンたちが、すでに投獄されていた。そこでバラバはクリスチャンが放火犯でないことを知り、かえってクリスチャンからも責められるはめになる。
  クリスチャンになろうとしてなれないバラバ、この男の生き様に現代人の信仰観を見出し、それがノーベル賞の理由に挙げられていました。
 宗教にこころ惹かれながら、素直に神の懐に飛び込めない現代人。
結局、彼は十字架上で処刑されるとき、最期の言葉は、暗闇に向かって「俺の魂を委ねるよ」としか言えなかった。小説はそこで終わっている。 
  イエスは「父よ(神よ」わが霊を御手に委ねます」と。私達もそんな最期でありたいと心がけたいものです。

イエスの最後の弟子 ルカ23:39~43

2009 年 3 月 8 日 日曜日

「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」         ルカ23;42
  イエスは二人の殺人犯と一緒に十字架につけられました。一人は右に、もう一人は左に、そしてイエスは真ん中に。イエスは、まさに罪人の仲間の一人として十字架につけられたのです。
 十字架刑は、丸太に生身の手のひらと足の甲に太い釘を打ち付け、十字架が立てられると、体重で釘あとは引き裂かれ、また、体重で関節という関節ははずれ、出血は止まらず、心臓は烈しい鼓動をし、そのまま死ぬまで放置されるという、人間が考え出したもっとも残虐な刑具といわれています。
 その極限状況の中に、壮絶な人間ドラマが繰り広げられたのです。 一人の強盗は「お前が神なら自分を救って、俺たちも救ってみろ」と断末魔のあがきです。ところが、もう一方の強盗は、「お前は神を恐れぬか。我らが刑を受けるは自業自得ではないか」と。
神の「カ」の字も忘れて人殺し稼業にすさんだ人生を歩んできたのだろうが、ここに来て、おそらく幼少のときシナゴクで聴いた神の教えに目覚めたのでしょう。そして、強盗仲間に説法です。
 自ら罪を認める「認罪」これ救いへの一歩です。生き様、死に様は、人生の最後までわかりません。人によって全く異なっています。一人は認罪もなく「救ってみろ」といい、一人は、つつましく、畏れて「イエスさま、天の御位にお着きの時は、私を思いだしてください」でした。イエスにすべてを委ねたのです。救われる資格はないだろう。でも、イエス様、私を思い出してください。これが精一杯の信仰告白であったのではないか。
 イエスは、息も絶え絶えのなかに、「汝、今日、我と共にパラダイスにあるべし」と宣言されたのです。そして、彼はキリストの最後の弟子に加えられました。強盗がクリスチャンになり天国人に入籍をゆるされたのでした。
   ここで、注目をしたいのは、人は死んだらどうなるのだろうか、という問題に明確な答えが出されているいます。「死」は、消滅でも、永眠でもなく、肉体を離れた人間の魂は、即時に「きょう」という日に、神も御子イエスと共に、天の栄光に<パラダイス>に挙げられ生き続けるというのです。ところが、もう一人の男は・・・・。彼は最後まで神を信じ救いを受け入れなかった。

イエスを十字架につけた ルカ23:32~38

2009 年 3 月 1 日 日曜日

「指導者たちもあざ笑って言った。『もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ」                              ルカ23:35
  聖書が伝える人類救済のクライマックスがやってきました。それは、人類の罪の咎を身代わりに負って死なれることでした。
 ルカ福音書のルカはその事実を冷静に、短いことばで記録しています。
33節「イエスと犯罪人とを十字架につけた」と。まさに、イエスは犯罪人の一人であるかのように十字架につけられたのです。
 何も知らない、群衆、またローマの兵隊たちはイエスを見上げてあざ笑います。「おまえさんがキリスト・救世主なら、その十字架から降りてきてみろ。」「降りてこられないところを見ると、おまえさんの救世主気取りもいんちきだったんだろう。」
 群衆の叫びは説得力があります。論理的には完璧です。自ら神と主張されたイエスが、いま民衆の笑われ者となり、ボロ切れのように、何の抵抗もなく十字架にぶら下がっているイエス。どこに神の威厳、救世主としての権威が見られたか。「おまえさんが人となって来られた神の子なら、その十字架から降りてきてみろ。」完璧な理屈に、私たちがもしそこにいたとしても、「私はイエスにだまされていたのかもしれない。よくぞだましやがったな。このイエス野郎」と、ほかの民衆に混じって暴言を吐いていたのではないでしょうか。
   イエスはガリラヤ荒れ狂う波浪を一瞬に鎮めることもでき、死臭さえ漂わせるラザロを生き返らせることもできたお方。この時も十字架から降りようと思えば簡単に降りられたことでしょう。降りてきて罵詈雑言を抜かすけものような人間どもを蹴散らかして、みんな滅ぼすことだってできたことでしょう。
 しかし、イエスは十字架から一歩も逃げだそうとはしなかった。
 それどころか、それどころか、むしろ、あの忘恩無恥な民衆、兵卒どものために、赦しの執り成しの祈りを捧げておられたというのです。イタリヤの詩人でキリスト伝を書いているパピニは「人間が祈り始めて以来。未だかって、これ以上の神聖な祈りが天に挙げられたことはない。」と。 イエスは十字架の上でメシア・救世主的祈りを捧げられたのです。
「神よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているかわかっていないのですから」
 あの十字架の下でけものというより悪魔的な薄笑いをイエスを罵り続ける野郎たちのために、かばい立ての祈りを捧げておられる姿。イエスがなしてこられたどんな奇跡よりも、さらに偉大なる救い主なる神・キリストを見る思いで胸が熱くなります。
 思えば、イエスは「人を救わんために世に来られたのでした。」しかも、罪なき神の子として贖いの身代わりの死を遂げんとて来られたはずでした。わめき散らす野次馬たちのためにイエスは救いの道を成就するために、十字架上で死のうとしておられるのです。このいイエスのお心を知らない者たちのために身代わりになって死のうとしているのです。だから、イエスは「神なら降りてきてみろ」のヤジにも黙して自らの使命を遂げんとしておられるのです。イエスは私たちのために贖罪のわざを完遂されようとしていました。

私のために泣くな ルカ23:27~31

2009 年 2 月 22 日 日曜日

  「私のことで泣いてはいけない。」   ルカ23;28
 イエスは刑場であるゴルゴダに向かって重い足取りで歩いていかれます。今日、エルサレムに旅行に出かけると、必ずイエスが歩まれたという道に案内されます。ヴィア・ドロサ「悲しみの道」と呼ばれる狭い石畳の道です。ふだんでも、人通りの多い道に、今死刑囚が三人も通るということで道はごったかえしていていたことでしょう。
 27節を見ると、「大ぜいの民衆や、イエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが・・・」と録されています。当時の記録によると、死刑囚に苦痛を和らげるための麻酔薬を吸わせる慈善婦人会があったようです。そんな女たちが、同情の涙を流してイエスの後を追う。一人が泣けばみんなで声をあげて嘆き悲しむ。私たちがそこにいても、イエスの変わり果てたお姿に声を上げて泣くことでしょう。ところが、ところが、イエスは、息も絶え絶えの中で、「私のために泣かないで、あなた自身と、その子供たちのに泣きなさい」といわれたのです。これは、やがて来るエルサレム滅亡のことをイエスは予見して、その時のために恐れ泣け、とおっしゃっているのです。事実、イエスがこころ痛められたエルサレム滅亡は、この時から40年後、AD70年にローマ軍によって、街が跡形もなくなるほど徹底的に破壊されたのでした。
  イエスはご自分の苦痛より、神の審きによる人々の滅亡に心をいため同情をされたのでした。
 人は不幸に見舞われると、人の同情を求め、自分が世界中で一番の不幸者と嘆き悲しむ性癖があります。そして、周囲の人から同情の涙、優しさ、哀れみ、慰め・・、を受けて、もっとも哀れな可哀想な主人公を演じてしまうのではないか。
 イエスは、違った。何の罪、落ち度もなく、生涯愛の人で、神の審きの身代わりになって十字架を負って刑場に向かわれる、そのさなかに「私のために泣かなくてもよい。むしろ、あなた方の上にやがて来る、神の恐ろしい審きから免れる道を求めて泣くがいい」と。この時の、滅亡はローマ軍による局地的なものでした。でも、聖書には世の終わりに、全世界的、宇宙規模の神の大審判の日が来ることが預言されています。イエスは、今も、その日のために備えのない者のために十字架を負いつつ、悲しんでおられる・・。

怪我の功名 ルカ23;26

2009 年 2 月 10 日 火曜日

「この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。」
                                                 ルカ23:26
  イエスは、十字架を背負って、刑場となっているゴルゴタの丘まで、ローマ兵に追い立てられていました。昨夜来の拷問で体力は、疲労困憊、足をふらつかせながらの難行。
  今も、エルサレムに旅行に行くと、イエスが十字架を担いで歩かれたという狭い路地が「ドロロサ」と名づけられて残っています。このせまい道に死刑囚が十字架を背負ってのっそりのっそり歩いていくのですから、野次馬たちでごったかえしていたことでしょう。
 その中に、エルサレムか1200キロも離れたアフリカのクレネという町から巡礼に来ていた「シモン」という男がいました。
  突然、ローマ兵から「おいっ。お前。田舎者の黒いの」と声がかかるや、ムリヤリにイエスの「十字架を代わりに担いだやれ」と、言われたのです。青天の霹靂、頭の中は真っ白。「ああ、恐ろしい。死刑囚の血のついた十字架なんて」と、ふるえあがったことでしょう。一世一代の恥辱、家門の汚れ・・・。半べそをかきながら必死に抵抗したが、相手は泣く子も黙るローマの将兵。ムリヤリに背負わされることになった。
 ところが、あとになって自分が背負った十字架がメシヤ。救世主キリストの十字架であったことを知って、彼は二度びっくりします。
 この、ふとした「大不幸」と思われることが、やがて、一家のクリスチャンになり、天国人としていただくきっかけになることは、私たちの中にも経験されるところではありませんか。瓢箪からコマ、怪我の功名ということでしょうか。 シモンは史上唯一人、キリストの十字架を代わりに背負ったなんて。

それからついに ルカ23:13~25

2009 年 2 月 1 日 日曜日

十字架につけろように大声で要求した。そして、ついに、その声が勝 った。」                             ルカ23:23
  キリスト教会の最初の信条は『使徒信条』です。今朝も礼拝で読みました。その文中に「我らは主イエスを信ず。・・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け十字架につけられ・・。」と。
 第五代ユダヤの総督ポンテオ・ピラト。イエス・キリストを十字架にわたしたローマ総督。彼は歴史上に消すに消せない悪名を残してしまったピラトです。「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ」と引き合いに出されて、世の終わりまで悪名を背負うピラト。
 当時のローマ世界帝国の権威を背に負ったユダヤの総督。運命の役を担った男・ピラト。彼はイエス・キリストの<無罪>を認めていました。
 当時の宗教屋どもは目鯨たてて突きだして来たイエスを一目みて、これが彼らの悪意による告発誣告だと見抜きます。
 「イエスに罪なし」と判断します。
前の4節で訴えてきた祭司長や群衆に向かって「この人には何の罪も見つからない。」と、言明しました。
 ユダヤ地方総督の地位に昇りつめたやり手で、賢明さをもつローマ紳士でした。
 若い頃ポント州で戦い、投げ槍が巧みだったので「ポンテオ・ピラト」と称えられたと言われています。
 彼は、「我イエスに罪認めず。」と、判断していました。
 けれども、それだけの賢明さを備えていたものの、決断力を欠いていました。人気取りでふらつきます。
  無罪ならあくまで、無罪を宣言したとおり、即時釈放すればよかったものを、中途半端な民衆におもねっていい加減にしたものだから、結果は極端な方向に走ったのです。
 ピラトは三度も、イエスの無罪を宣言しておきながら、結局はイエスを十字架につけることを認めてしまいます。
 立派な主義主張をもちながら、それを貫く通せない。群衆におもねり、
打算の結果、とんでもない「無罪」であるイエスを十字架に追いやってしまう、末代まで汚名を残す大失敗をしているのです。
 群衆に流され、世間を横目でみながらしか、決断できない、意志薄弱者はピラトだけでしょうか。
 正しいことを信じて行う、実践する、これが信仰の道では・・・。