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	<title>日本長老教会　礎(いしずえ)キリスト教会</title>
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	<description>名古屋市守山区にあるキリスト教会です。カルヴァンによる宗教改革の伝統を受け継ぐプロテスタントのキリスト教会です。</description>
	<pubDate>Sun, 03 Jan 2010 12:35:53 +0000</pubDate>
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		<title>(お知らせ)当教会の澤口文雄牧師は</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 11:41:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suzuka</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[お知らせ]]></category>

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		<description><![CDATA[当教会の澤口文雄牧師は昨年(2009年)１１月１１日天に召されました。
生前中は皆様方の暖かく親しいお交わりを頂きましたことに心よりお礼申し上げます。
礎教会は現在牧師不在でありますが、近隣教会からの応援を頂き、毎日曜日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size: 11pt; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;">当教会の澤口文雄牧師は昨年(2009年)１１月１１日天に召されました。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size: 11pt; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;">生前中は皆様方の暖かく親しいお交わりを頂きましたことに心よりお礼申し上げます。</span></p>
<p><span style="font-size: 11pt; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-family: 'Times New Roman'; mso-font-kerning: 1.0pt; mso-ansi-language: EN-US; mso-fareast-language: JA; mso-bidi-language: AR-SA;">礎教会は現在牧師不在でありますが、近隣教会からの応援を頂き、毎日曜日１０：３０より礼拝を行っています。気軽におこし下さい。</span></p>
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		<title>日本は寛容で？　　　茄子作　九</title>
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		<pubDate>Fri, 13 Nov 2009 10:33:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[「他山の石」　クリスチャン新聞連載　]]></category>

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		<description><![CDATA[嘉禄三年（AＤ一二二七）といえば、法然が死んで十五年後のことなのに、彼の墓堂は、これを憎む鞍山の僧徒らによって敬却されました。
　　もっとも、遺骸の方は、あやうく弟子らによって嵯峨へ移され、ついには西山に運ばれて火葬にふ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>嘉禄三年（AＤ一二二七）といえば、法然が死んで十五年後のことなのに、彼の墓堂は、これを憎む鞍山の僧徒らによって敬却されました。<br />
　　もっとも、遺骸の方は、あやうく弟子らによって嵯峨へ移され、ついには西山に運ばれて火葬にふされました。いわゆる〝嘉禄の法難″でした。<br />
　さて、このことは近頃の俗論をまっこうから打破しています。いわく「日本は寛容である」「日本の宗教は他の宗教を排斥しない。」、「日本には宗教の争いはない」「日本には正統・異端の争いはない」などなど。<br />
　それに対して、「あちら西洋では」、「キリスト教は」と指さしてはシタリ顔の評論家や先生がた－。とんでもありません。日本の宗教史は激しい論争、正統・、異端の権力闘争、政撃合体しての宗教戦争でいろどられているのです。それも同じ宗教内部での。<br />
それ忘れてか、見ないでか、「日本は寛容で」、、「日本の宗教は包容的で」と、いい気なサエズリは認められません。飛鳥時代は物部・蘇我の宗教戦争、平安時代の最澄・空海の絶交、鎌倉時代の弾圧・法難、きらには切支丹に対するあの残虐行為は「日本が寛容で」、「日本の宗教は包容的で」といった太平楽を粉砕しています。</p>
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		<title>私がそれである　ヨハネ　4：16~26</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Oct 2009 00:23:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[今週の説教要旨]]></category>

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		<description><![CDATA[女はイエスに言った。「先生。私が渇くことのない・・・その水を私に下さい。」　　　　　　　　　　　　　　　　　ヨハネ４；１５
インターネットのある若者が「こころの渇きを癒して下さい（涙）」と訴えているのをありました。そして [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>女はイエスに言った。「先生。私が渇くことのない・・・その水を私に下さい。」　　　　　　　　　　　　　　　　　ヨハネ４；１５<br />
インターネットのある若者が「こころの渇きを癒して下さい（涙）」と訴えているのをありました。そして「空腹飢餓」それとは別にある心理学者は「空心飢餓」と新語を紹介しています。<br />
　確かに、多くの人はこころの渇きを漠然と感じていることでしょう。でも、その渇きの原因がわからす、自分の欲求を満たせば癒されるだろうぐらに考えていませんか。<br />
　今、イエスの前に「空心飢餓」の女がいます。日陰の生活で、人目を避けて真昼間井戸に水汲みに来ています。ところがイエスとの会話に中に「私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出します。」<br />
　女は、もちろん飛びつきます。ただ霊的意味もわからずただのH2Oをもらえるものと期待して・・・。ところが、ところが、イエスの口から出た言葉は百雷のとどろきにも増して彼女を仰天させたことでしょう。彼女の心の渇きの根元を、単刀直入に指摘したのです。「行ってあなたの夫をここに呼んできなさい」と。実は、彼女は男癖が悪いというか、男運に恵まれなかったというか、今までに５人の夫があったのに、いまは６人目の男と同棲中だったというのです。<br />
たしかに、彼女にとって男は、例え一時的であっても慰め、渇きにいやしを与えてくれたことでしょう。しかし、そのことで世間から不身持女とか、「売女」など、陰口をたたかれ、まともな近所づきあいも失っていた。それが「真昼間」のだれも人気のない時間帯を選んで水汲みにやってく「空心飢餓」の気の毒な女性でした。<br />
　私たちも、何か気休め的なもでうっぷん晴らしをしながら、「渇き」を紛らわしていることがあるのではありませんか。H2Oでやされるものと・・・。<br />
　女は、一番見ず知らずの旅人に知られたくなかった生活の恥部であり、渇きの根元であることを、イエスに一喝されて、電気ショックに打たれたように、彼女はそれを素直に認めて<br />
「先生。あなたは預言者であると思います」と、宗教の世界に目醒めていきます。彼女もイスラエル民族の一員です。幼い純真無垢少女時代には、両親と一緒に会堂に毎安息日に礼拝に出席して聖書をまなんでいたようです。２５節で「女はイエス言った。「わたしはキリストと呼ばれるメシヤ（救主）が来られることを知っています。」と告白しています。床下のダンゴ虫のような生活に落ち込んでいても若いときの宗教教育は、彼女のこころからは消えていなかったことをしります。<br />
　実に、女の前に立って、忍耐と慈愛をもて、こころを開き「活ける水」をこころに満たして下さる方。「あなたと話しているのが私です。」これで女の人生一変。次週にご期待。</p>
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		<title>他山石　「空海と景教」　１９　　茄子作　九</title>
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		<pubDate>Tue, 06 Oct 2009 08:45:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[「他山の石」　クリスチャン新聞連載　]]></category>

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		<description><![CDATA[　　弘法大師・空海と云えば、日本でも一番人気の天才ですが、昔からキリスト教との接触が取沙汰きれて来ました。例のイロバ歌にキリストの贖罪死や神の唯一性が読み込まれていると説かれたり、本尊の大日如来と主なる神との相似性も云々 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　　弘法大師・空海と云えば、日本でも一番人気の天才ですが、昔からキリスト教との接触が取沙汰きれて来ました。例のイロバ歌にキリストの贖罪死や神の唯一性が読み込まれていると説かれたり、本尊の大日如来と主なる神との相似性も云々されて来ました。<br />
けれども、イロハ歌が空海の作であることは不明であり、その遺文中にキリスト教関係の一語も発見されていないことから、文献上では右のような話をたしかめることは出来ません。<br />
　けれども、空海は唐に留学した際、キリスト教と接触したことは疑えません。時あたかも、都・長安は〝大泰景教″つまりネストリウス派のキリスト教が大流行中で、何でも見てやろうという知的興味の旺盛な空海が、その教えに開心を抱いたことは当然予想されます。<br />
　空海は帰国の際に沢山の経文類を持ち帰りましたが、その中の一つ「六波羅蜜多経」は恩師の一人である般若三歳が景浄の協力を得て訳し始めたものでした。そしてこの景浄こそ大泰寺と呼ばれた教会の牧師だったのです。<br />
　もっとも、般若三蔵はのちに新しく訳し直したのですが、その間の経緯は空海も聞いていたと思われます。しかも、空海の宿所である西明寺と大泰寺つまり教会との距離は、旧地図によってはかってみると、わずか十五、六町（一キロ半～二キロ）ほどの近さでした。<br />
一年三か月にわたる長安滞在中、空海はしたしくその門前を往来し、足を踏み入れたことでしょう。三十才を越えたばかりの空海が、どんな顔で教会堂を見、その教えを聞いたことか。<br />
キリスト教は、壮年留学僧・空海の姿をも合わせて、中国、日本の歴史の上に大きく翼をひろげています。</p>
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		<title>進化論について</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Sep 2009 03:22:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suzuka</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[掲示板]]></category>

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		<title>死後の生はあるのか？</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Sep 2009 23:41:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suzuka</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[掲示板]]></category>

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		<title>新暦最初の元旦　　茄子作　九</title>
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		<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 10:29:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[「他山の石」　クリスチャン新聞連載　]]></category>

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		<description><![CDATA[壁にかけた初暦の折目が冷たく揃ってっているのは」なにかヒヤッとする新鮮さです。
初暦めくれば月日流れこむ。日本最初の新暦（太陽暦）による元日は、明治六年のことでした。それまで、持統天皇八年（AD六九二年から一一八一年間い [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>壁にかけた初暦の折目が冷たく揃ってっているのは」なにかヒヤッとする新鮮さです。<br />
初暦めくれば月日流れこむ。日本最初の新暦（太陽暦）による元日は、明治六年のことでした。それまで、持統天皇八年（AD六九二年から一一八一年間いうもの、陰暦が使われて来たのですが、明治五年（AD一八七二年）の十一月九日、政府は突如として、改暦を布告しました。<br />
　「来ル十二月三日ヲ以テ、明治六年一月一日ト定メ」<br />
と。<br />
．今日でさえ、旧暦で行事をおこなう風習があるくらいですか<br />
ら、当時の人々の心中はタイへンなもので、老婆が「師走（し<br />
はす）の三日に正月が来るなんて、けったいな」と嘆けば、職<br />
人は「されば、昨日は十二月一日で、明日は一月一日だという<br />
のか。そんなら十二月の二日には三十日分も働かなければなら<br />
なくなる。徳川の正月の方がいい」という次第。<br />
　では、なぜ政府は陰暦を陽暦に改めたのでしょうか。万国共通の日付にする必要と、旧暦にまつわる様々な迷信を一掃する意図があったことは知られています。しかしこれが、わざわざ「明治六年」にかぎって断行された裏には、国の財布の事情があったのでした。<br />
　すなわち、旧暦だと、明治六年には、まるまる一ヶ月を閏月（うるうづき）として、ふやさなければならないのですが、維新前は官吏の俸給が年給だったのを、維新後は月給日給制度にきりかえていました。となると、、明治六年には官吏へ月給が十三ケ月分となってしまう。<br />
　ただでさえ、窮屈なのに、一ヶ月分の余計な支出は無理だというわけで、明治六年を新暦に切りかえて、閏月を消し去ったという裏話です。．<br />
おかげで、官吏十二月分の月給と翌年もらうはずだった閏月分の月給をもらいそこねるというオソマツでした。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>他山の石　「慈善の師弟も」23　　茄子作　九</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Sep 2009 09:24:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[「他山の石」　クリスチャン新聞連載　]]></category>

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		<description><![CDATA[　叡尊（えいぞん）、忍性（にんしょう）と云っても、ご存知ないかたが多いことでしょうが、鎌倉時代に慈善活動で奮闘した律僧として、もっと銘記されてよい師弟です。
　叡尊は、「非人救済」、すなわち乞食への施しや、「殺生禁断」、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　叡尊（えいぞん）、忍性（にんしょう）と云っても、ご存知ないかたが多いことでしょうが、鎌倉時代に慈善活動で奮闘した律僧として、もっと銘記されてよい師弟です。<br />
　叡尊は、「非人救済」、すなわち乞食への施しや、「殺生禁断」、つまり生きものの漁猟を禁じて、戒律の実践に献身しました。そのころ老朽化していた宇治橋を造営したかわりに宇治川での漁をやめさせて生斉救済を期しました。<br />
　弟子の忍性も、非人や捨て子の救済にあたり、囚人に手をのべ、橋を架けること百八十九、道を開くこと七十一、井戸を掘るること三十三と云われました。<br />
　とくに奈良北山に建てた癩者の施設・北山十八間戸は有名です。馬病舎も設けて、獣畜にあわれみを施すことも実践しました。<br />
しかし、これらの事業が、人々の尊敬を受けるはかりであったかというと、そうではなく、反対の声が高かったことは考えさせられます。<br />
　「摂生禁断」と云っても、そのために漁師や猟師たちは職を失わざるを得ません。また、慈善費が通行税などによって調達されたりしました。「乞食や魚のために真面目に働いている者が犠牲になるとは何事か」と云うことで、あの日蓮も攻撃の側に立ちました。<br />
　さらに、悲しいことには、当の乞食たちが、次第にゼイタクになり、感謝を忘れて不平をもらし、施し強請するようになり、ついにはその欲得のため、乞食同士で乱闘に及ぶのでした。ナンということを、やんぬるかなや、なのでした。<br />
　慈善事業の限界でした。根本は、人の心そのものの改造、いや生まれかわることでした。<br />
「人あらたに生れずば、神の国を見ることあたはず」＜新約聖書・ヨハネ三章3＞と云う、聖書のみことばが底深いところから聞こえて来るような気がします。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>他山の石　「いろは歌と聖書」　21　　茄子作　　九</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Sep 2009 08:33:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[「他山の石」　クリスチャン新聞連載　]]></category>

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		<description><![CDATA[  　イロハ歌が空海作のものでないことは、今日しられるところとなっていますが、なにも空海でなくても出来るという例は、一九〇三（明治三十六）年に「万朝報』新聞で一等当選した次の作品でもわかりましょ
　とりなくこゑす　ゆめさ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>  　イロハ歌が空海作のものでないことは、今日しられるところとなっていますが、なにも空海でなくても出来るという例は、一九〇三（明治三十六）年に「万朝報』新聞で一等当選した次の作品でもわかりましょ<br />
　とりなくこゑす　ゆめさませ<br />
　（鳥鳴く声す　夢きませ）<br />
　みよあけわたる　ひんがしを<br />
　（見よ明けわたる　東を）<br />
そらいろはえておきつへに<br />
（空色映えて沖つ辺に）<br />
　はふねむれゐぬ　もやのうち<br />
　（帆舟群れ居ぬ　もやのうち）<br />
　今様詞に「ん」も入れて完壁<br />
です。<br />
　このほかには、イロハを和歌の頭と尾によみ込んで、連作という試みもあります。<br />
　あらさじと打ち返すらしを山田の苗代水にぬれて作るあ<br />
　めも遙かに雪間も青くなりにけり<br />
　　今こそ野辺に若菜摘みてめ</p>
<p>つくば山　咲ける桜の匂ひをば入りて折らねどよそながら見つ</p>
<p>　それぞれ頭尾に「あ」、「め」、「つ」をよみ込み、これを通すと「あめ、つち、ほし、そら、やま、かは」となって行く趣向です。平安中期の才人・源　順（みなもとの・したごう）の作です。<br />
　もっとも、このこころみはすでに聖書にありました！詩篇一一九篇が、それです。<br />
　幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。そのさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。<br />
以下、各八節ヅツヘプル語のイロバを各行の頭によみこんで、<br />
堂々一七六節、二十二段の大長編。しかも、テーマは〝神のことば″で終始一貫とは、さすがは聖書のイロバ歌というところでした。<br />
　それも、第一段は「幸いなことよ」と若々しいマーチ風で始まり、第二十二段のしめくくりは「私は滅びる羊」と、「わび」、「さび」でおさめたところなど、たまりません。</p>
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		<title>他山の石　「いろはうた」　20　　茄子作　九</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Sep 2009 08:19:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sawaguchi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[「他山の石」　クリスチャン新聞連載　]]></category>

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		<description><![CDATA[　　色は句へど　散りぬるを我が世誰ぞ　常ならむ有為の奥山　今日越えて　浅き夢見じ　酔ひもせず
　このご存知「いろはうた」は長いあいだ弘法大師・空海の作とされました。しかも、これを七字切で書いて見ると、上表に並ぶ文字が「い [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　　色は句へど　散りぬるを我が世誰ぞ　常ならむ有為の奥山　今日越えて　浅き夢見じ　酔ひもせず<br />
　このご存知「いろはうた」は長いあいだ弘法大師・空海の作とされました。しかも、これを七字切で書いて見ると、上表に並ぶ文字が「いちよらやあゑ」となって、「やあゑ（ヤーベ）」つまり「エホバ」は「いちよら」つまり一つ」となる。また下一線に並ぶのは「とがなくてしす」で、「咎無くて死す」と読めるところから、キリストの福音が隠されていると云われました。<br />
　このほか、面白いのは、あの歌舞伎のドル箱・竹田出雲作「仮名手本忠臣蔵」の題名は「咎なくして死んだ」赤穂四十七士を「四十七字」の仮名手本である「いろはうた」にあてたものでした。とすると、この浄瑠璃が初演された一七四八年には、すでに「咎無くて死す」という読みが広くおこなわれていたこおｔがわかります。<br />
　さらにさかのぼると、同じく無実の罪で処刑きれた死刑囚の作、それも詩人の作であろうというわけで、万葉の歌聖・柿本人麿の作ではないかという珍説もなされました。<br />
　けれども、「咎なくて死す」とは「寂滅為楽」の仏教思想にあたるから、これは仏家、ことに真言宗系の仏者の作であろうともされました。<br />
　あれこれするうちに、大矢透 の「菅図及手習詞歌考」（一九－八・大正七年）が発表され、弘法大師作説は影を薄くしました。文法などの点から空海（七七四～八三五）よりも百年以上あとのものと断案されたのです。<br />
　とは云え、この「いろはうた」がキリスト教と関連させられたのは、空海自身が唐の都・長安留学中にキリスト教にふれたことによっているわけで、たとえ空海の作でないとしても、何となく見えない因緑が感ぜられる次第です。</p>
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