他山の石 「剣は自分自身に」  茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

 聖徳太子の精神を端的にあらわす文書として、有名な憲法十七条があります。その中でも、第十条に注目させられるところです。
第十条は「他人が自分と意見異にするからといって怒ってはならない。人にはみな思うところがあり、それぞれ正しいとしているものだ。彼が善しとしていることを私は悪しとし、逆に私が善とすることを彼は悪とする。」と述べられて行きます。
 摂政として、あの横暴なな蘇我氏と共に国政にあたる太子の苦衷がにじみ出ているように読めます。太子の目からすれば、全く正しくない蘇我馬子・蝦夷父子の言動。しかし、太子は和を重んずる宗教者です。しかも、なんと太子の体中のは蘇我氏の血が流れていて、彼をして、ひたすら、内面的に苦悩せしめ、このような自戒の言葉を結晶させて行ったのでしょうか。
そして、「自分は必ずしも聖人ではないことだし、彼は必ずしも愚者ではないではないか。よくよく考えてみれば、彼も私も共に凡夫にすぎない」と、沈痛に屈折しているのです。
それも、「彼に対して怒りをもよおす事があっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省しなければならない」と、剣は自分自身に向けているのです。
 「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目
の中の梁には気がつかないのですか」という主イエスの言葉〈マタ
イ7・3>や、「あなたは他人をさばくことによって、自分自身を.
罪に定めています」という使徒パゥロの言葉〈ローマ2・1>の、
こだまのように聞こえるのです。

 他山の石 「武人と和歌」   茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

 江戸築城で有名な太田道灌が鷹狩りに出て雨にあい、小家で蓑(みの)を借りようとすると、少女が山吹の花一枝を差し出したので、怒って帰りましたが、それは、 
 七重八重花は咲けども山吹の
 みの一つだにななきぞ悲しき
という古歌のこころであ.ったと知り、大いに発憤して名を成した話はよく知られています。
 しかし、その後おさめた和歌の道が大いに役立った後日談をご存
じでしょうか。ある時、罪を犯した七人の者が一つ屋敷にこもって捕り手を寄せつけません。すると道灌は「七人のうちの一人は助けることになっているから気をつけよ」と呼ばわれば、七人は自分がその一人だと恩ってひるむから、そこを突けと命じました。その通りになりました。
 世の中に独り止まるものならは
 もし我かはと身をや頼まん
という古歌によったものです。
 また、千葉攻めの折、山路は石矢でねらいうちきれたので、干潟を通って攻め込むことになりましたが、道灌は耳をすましただけで潮の干いていることを判断しました。すなわち、
 遠くなり近くなるみの浜千鳥 
 鳴音に湖の満ち干をぞ知る
という古歌によって、千鳥の声が遠く聞こえたからなのでした。
 またある時、夜中に利根川を渡ることになりましたが、闇きは闇
し、浅瀬はどこにあるのかわかりません。しかし、
 底ひなき淵やはさわぐ山川の
 浅き瀬にこそあだ波は立て
と古歌にあることから、波音の高いところを渡れと命じて、無事、渡河をはたしました。
 武人と和歌とは緑が無いように見えますが、どういたしまして、このようなこともあるのです。
花を植えたり戦きもしたり。聖書にも帯剣歌人ダビデがいました。

 他山の石 「五分勝ちを上とす」 茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

「主よ、主よ、と言う者がみな天の御国にはいるのではない」
<マタイ 七 ・21>。
  武田信玄は言ったものでした。「負けるはずのない戦きを負け、滅びるはずのない家が滅びると、ひとびとはみな天命だ、運命だと言って片づける。しかし、私は天命だなどとは思わない。みなヤリカタが悪いからだと考える」と。
また、兵法についても合理的で、「小さな備えをよくよく工夫して立てる。そうすれば、大きな備えがやりやすい。万事は小さなことから始め、次第次第に組み立てて、大に及ぼすようにせよ。大より小へは、やりにくい」としました。
 そのくせ、いざという時には「五分勝ちをもって上の勝利とし、七分も勝つのは中の勝利、十分勝ってしまうのは下の勝利だ」
なぜ?と聞かれて、信玄は答えて曰く。 「五分の勝利にとどめておけば励みが生ずる。七分も勝つと怠りが生ずる。十分に勝ってしまおうものなら、一番おそろしいおごりが生じてしまうものだ」と。
 こうして、信玄は常に六、七分の勝ちを越さず、好敵手の上杉謙信をして「この点、自分は信玄に及ばない」と感嘆させました。
 無責任な敗北主義者や、功名手にはやって有頂天になり、一番肝腎な謙遜を失っては高転びする張子の虎には、妙薬の佳話です。

予定論について

2009 年 9 月 5 日 土曜日

「我は恵まんとするものを恵み、憐まんとするものを憐むなり」

                    (出エジプト記 33-19)

「その子いまだ生まれず、善も悪もなさぬ間に、神の選びの御旨は動かず・・・」

                       (ローマ書 9-11)

「世の創(はじめ)の前より我等をキリストの中に選び、御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給へり。」                

                         (エペソ書 1-5)

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ウエストミンスター信仰告白

第3章 神の永遠の聖定について‥

3-1. 神は全くの永遠から、起こってくることは何事であれすべて、ご自身の御心の最も 賢く清い計らいにより、自由に、また不変的に、お定めになられた。しかし、それによって、神が罪の作者となることなく、また、被造物の意思に暴力が加えられず、更にまた、第2原因の自由や偶発性が取り去られるのではなく、むしろ確立されるような仕方で、定められたのである。

3-2. 神は考えられるあらゆる条件に基づいて起こってくるであろうことや、起こりうることを、何事でもすべて知っておられるが、しかし神は、いかなることも、未来のこととして、あるいは、一定の条件に基づいて起こってくるものとして、予知したから、聖定されたのではない。

3-3. 神の聖定により、神の栄光を現すため、ある人間たちと御使いたちが永遠の命に予定され、他の者たちは永遠の死に前もって定められている。

3-4. このように予定され、あるいは前もって定められている、これらの御使いや人間は、個別的に、また不変的に指定されており、彼らの数は正確で確定いているため、増やされたり減らされたりすることはありえない。

3-5. 人類の中で命に予定されている者たちは、神が、世の基が置かれる前から永遠不変の目的と御旨のひそかな計画とよしとされるところに従って、キリストにおいて永遠の栄光に選ばれたのであって、それは自由な恵みと愛とだけから、被造物の内に信仰や善い行い、あるいはそのいずれかにおける堅忍、もしくは何かほかのものを、そうするように御自身を促す条件ないし原因として、予見したからではない。すべては輝かしい恵みが賛美されるためである。

3-6. 神は選びの民を栄光へと定められたので、神は御旨の永遠で最も自由な目的により、そこに至るためのすべての手段をも、あらかじめ定められた。だから、アダムにおいて堕落しながら選ばれている者たちは、キリストによって贖われ時至って働くその御霊によって、キリストへの信仰に有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、御力により信仰を通して救いに至るまで保たれる。他の誰も、キリストによって贖われ、有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、救われることはなく、ただ選びの民だけである。

3-7. 人類のそれ以外の者を、神は御旨のままに憐れみを示しも控えもなさる、御自身の御心のはかり知れない計画に従い、その被造物に対する自らの主権的な力の栄光を輝かせるために、見過ごすこと、また、御自身の輝かしい義が賛美されるように、彼らをその罪のゆえに、恥辱と怒りに定めることをよしとされた。

3-8. 予定というこの高度の神秘についての教理は、その御言葉の中に啓示された神の御心に注意深く聞き、それに従順に従う人々が、彼らの有効的召しの確かさから、自らの選びを確信できるように、特別な配慮と注意をもって取り扱われるべきである。そうすれば、この教理は、心から福音に従うすべての人々に神への賛美と畏敬と称賛の理由、および謙遜と熱心と豊かな慰めの理由を、提供するであろう。

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「予定についての議論は、それ自体すでにある程度厄介な問題であるが、人間の好奇心が加わると、きわめて混乱した、危険なものとさえなる。すなわち、この好奇心はどのような枠を設けても、禁じられた脇道にさ迷いで、高く飛び上がることをとどめられないのである。そして、もし許されるなら、究明し、解明すべからざる隠れた奥義を神に残すことをしない。 このような無謀と不正とに、多くの人々がいたるところで陥っているので、かれらのうちのある人たちは、他の点では誤りを犯していないのをわれわれは見ているが、この点についての彼らの処する規準について、時期を見て忠告しておくことが適当である。そういうわけで、第1に彼らに思い起こさせねばならないことは、予定の問題を探求するに際して、自分達が神の知識の最も奥深いところに踏み込んでいるのであって、もし誰かが安心して、自信満々とここに飛び込むならば、その好奇心の満足は決して得られず、迷宮の中に入り、そこからの出口を何一つ発見できなくなる、という点である。何故なら、主がご自身の内に隠しておこうと欲したもうものを、人間が罰も受けないで、明け広げて見せたり、これによって、神がわれわれに驚きの思いを満たすために、理解させるのではなく、あがめようとしておられる気高い知恵を、昔から暴き出したりすることは正しくないからである。神はわれわれに啓示すべきであると考えたもうた、ご意思の隠されたところを、その御言葉によってあらわしたもうた。だが、われわれに関わりがあり、また益があると、あらかじめ見たもうた限りのことだけを、啓示すべきものとされた」。                                

 「主の御言葉こそ、彼について当然知るべきすべてのことを捜すための唯一の道であり、彼について見るべきすべてのことを見通すために、我々を照らす唯一の光であるとの考えが、我々の心を占めているならば、我々は容易に一切の無思慮から引き留められ、抑制される。何故なら、我々は御言葉の限界を超えるやいなや、道を外れて闇の内を進み、そこで繰り返し繰り返し迷い、滑り、躓かざるをえない、ということを知っているからである。従って、我々はこのことを第一に目の前に据えよう。いわく、神の言葉によって明らかにされる以外に、予定について知ろうと志すことは、人が道のないところを突進したり、闇の中で物を見たりするのに劣らず、狂気の沙汰である。また、我々はある種の無知の知が成立するこの件について、何か知らない事があるのを恥じてはならない。むしろ、我々はそれを渇望することが愚かであると共に危険であり、更に破滅的であるような知識を求めることを進んで自制する。しかし、もし、我々の気ままな好奇心が我々をせき立てるなら、それを抑制する次の言葉を常に対置すべきである。即ち、多すぎる蜜が良くないように栄誉を求めることは、好奇心の持ち主にとって栄誉にならない。何故なら、これが我々を破滅に突き落とすことができるのを見るとき、この大胆不敵さを我々が思い留まるのに十分な理由があるからである。」 

 「聖書は聖霊の学校であって、そこでは、知らねばならないこと、また知って益あることは、何1つ省略されていないが、知るに役立つこと以外は、何1つ説かれていないからである。従って、およそ予定に関して聖書の内に示されているすべてのことを、信仰者達に隠すことがないように注意しなければならない。それは、我々が信仰者たちから、彼らの神の恵みを意地悪くだまし取ったように思われたり、あるいは、隠しておいてこそ有益なものを、聖霊が公開したとして、我々が聖霊を告発し、侮辱しているように思われないためである。私は言う、我々は、キリスト者が彼に向けられた神のあらゆる語りかけに、精神と耳とを開くのを禁じないようにしよう。但し、その際、主が聖なる御口を閉じたもうやいなや、人もまた問い尋ねる道を直ちに断ち切る、という態度を守らなければならない。」 
(ジャン・カルヴァン著「キリスト教綱要3巻21章」より)

他山の石 「日本国中狐狩り」  茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

 ある時、宇喜田秀家の夫人がモノノケにとりつかれたとかで、・狂気したことがありました。老狐のしわざだということでした。
 それを聞いた秀吉は、さっそく手紙をしたためると、稲荷(いなり)神社に呈しました。その文面が、まことにふるっていました。
「このたび、宇喜田の女につきまとうたモノノケは狐のしわざとのことでござる。なにがゆえに、かかることをいたすのでござるか。ふとどき千万でござるが、このたびだけは格別見のがすことにいたそう。
 されども、なおこの上ふとときをなしつづける場合には、毎年、日本国中に狐狩りを命じ、津々浦々の狐という狐を狩り尽くす所存でござる。わが天下にある人も獣も、わが輩の意を重んぜざるべからず。すみやかに狐のしわざを止むべし。 委細は神官に仰せつけたるとおり」
と。 
 ここにおいてか、宇喜田夫人の邪気は去ったという話です。
 ごしょうちの通り、稲荷の使いが狐であるところから出た秀吉- 流の愉快なやりかたで、思わず失笑してしまいます。
 おどすのに、日本国中の狐狩りをもってしたというところなど、いかにも秀吉らしい大傑作でした。
 ありもしない俗信を退治するのも、こんなふうにやると、二倍の
効果があるかも知れません。

他山の石 「茶碗とマンジュウ」  茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

 容貌魁偉(かいい)、人となり胆略あり、と評きれた伊達政宗はあるとき秘蔵の名物茶碗を手にとって見ようとして、あやうく落としかけました。そのため、冷や汗びっしょりでした。
 やがて落ちつくと、彼は思いました「いまだかつて驚いたことのなかった天下の豪の者が、云ってみればただの土くれごときに、心を奪われ、驚きあわてたとは何たことか」と。そして、いきなり名物茶碗をひっつかむと、庭石に叩きつけて、粉ミジンに砕いてしまいました。
 誰にでも、「これだけは・…」というものがあります。そして、それが新しい生命に踏み切るのをためらわせ、不自然な緊張を与え、道をゆがめ、生きかたをみにくくしています。それを捨て去ってしまえは、どれほどセイセイして活歩できるかも知れないのに。
 福沢諭吉の少年時代のこと。親戚に使いして、ごぼうびにいただいたマンジュウ三つ、ふところに入れて帰るうち、一つが転がり出て、道に落ちてしまいました。
 どうしようもなく、そのまま帰りを急ぎましたが、道々、一つ失ったことが残念で、くやしく、心はそのことでムシャクシャするばかり。
 やがて橋にかかった諭吉少年は何を思ったか、あとの二つをふところから取り出すや、いきなり、二つとも勢いよく川の中へ投げ込んでしまいました。
 なまじ、三つのうちの一つを失ったというから、イジイジするので、全部を、それも自分から投げ捨ててしまえば、何の残念もなくサッパリしたのでした。
 「あなたは、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、わたしについて来なさい」。
と、主イエスは云われました<ルカによる福音審十八章22節>。
 後生大事にしているものも、よくよくあらためてみれば、なんのことはない、ただの土くれでしかないことが多いものです。

他山の石 「半兵衛の手足」  (10)  茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

 竹中半兵衛と云えば、秀吉に仕えた智謀の名将ですが、座す時はいつも足の指を交互に動かし、.寒中には手をこすっていました。
 主君の前に出る時も向じでした。いやしくも主人の前で、逸楽のために手足を自由にするのは、はなはだ無礼と云われるかも知れない。
 けれども、士たる者は多少作法からはずれても、手足がなえたりしびれたりして、いざという時の用にたたないことのないよう心がけておくのだ、と申しました。
 また、息子の左京に軍談を語り聞かせていると、まだ幼い左京が座を立って、どこかへ行き、暫くして帰って来たので、なんで中座をしたのか、と叱ったところが、.左京は小便をして来ましたと答えます。
 半兵衛は怒り、なぜ、この座敷で放ってしまわぬ。わが息子が軍談に聞き入り、座敷を汚したと云われることこそ、わが家の面目ではないか、と嘆じました。
 また、ちかごろは刀をはずして別のところに置いたり、他人の刀と一緒くたに置くようになっているが、なんとも心がけのないことだ。
同じところに置いておけば、急の時に取り違えて間にあわぬこととなろう。少くとも、人の刀が横にに寝かしてあったならば、わが刀は立て掛けて置くとか、人の刀のあるところを避けて置くとかすべきである、と語りました。
彼は、まるで女のような容貌の持ち主で、戦いにのぞんでも、猛威なところは少しもなく、いかにもおとなしい馬にまたがっては、静まりかえっていました。ために、人々は戦わずして、すでに勝っているような気がしたとのことです。これもさきのような平常細密な心がけあってのことで次の聖書の一節の他山の石となりましょ
う。「小さい事に忠実な人は、大きい革にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です」<ルカ一六、・一〇>、

他山の石 「秀吉と松茸」 (9) 茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

ある年の八月末、秀吉は東山の松タケが見事だと聞いたので、近日、松タケ狩りに行くことにしました。 家来は、さっそく付近一帯の松タケをとらせないよう手配しましたが、すでに京の者たちが取ったあとで、残り少なになっていました。
 そこで、あわてた家来たちは諸方から取り寄せた松タケを一夜のうちに植えつけておきました。 さて、秀吉は女房どもを引き連れて、松タケ狩りに打ち興じました。しかし、女房の一人が、実はカクカクシカジカで……と告げました。それを聞いた秀吉は笑い、「そんなことは、もうトツクに知っておるわい。だが、家来どもが苦心のほどを思えば、知らんぶりをしているのだ。だまっておれ、だまっておれ」と、いましめました。  *  *  *  * 
 また、山城の山里というところを、梅松という坊主にあずけました。感激した梅松は、「あらたに松を植えましたところ、ほどなく松タケが生えましたので」と献じて来ました。秀吉は、「わが輩の威光なれば、さもありなん」と笑って受けました。しかし、その後、何回も献じて来たので、秀吉は近臣を通じて、「もはや松タケを献ずることはやめよ。生えすぎるわい」と伝えさせたとのことです。実際はよそから求めて献じていたのです。 人の善意を暖かく受け入れて興ずるこころは嬉しいもので、御霊の実の一つにも〝善意″があげられていました。
       <新約聖書・ガラテヤ五・22>。 

他山の石 「富士山を枕に」   茄子作 九

2009 年 9 月 5 日 土曜日

 ある日、退屈した秀吉はつらなる武将たちに「ひとつ大きな歌をよんえみよ。」と命じました。
 面々は首をひねったり、五・七・五・・・と指を折ったり、その出来映えは次のとりでした。
 富士山を枕となして寝ころべば
  足は堅田浦にこそあれ
              細山幽斉
 日の本にはびこる程の梅の花
  大地に響くうぐいすの声
                     福島正則
大海を酒のかわりに飲みはして
  あたりの山をつまみ食いする
                     加藤嘉明
 須弥山(しゅみせん)に腰うち
  かけて世界をば呑めど咽(のんど)さわらざりけり
                    加藤清正
 須弥に腰かけて世界を呑む人を
  小指のさきではねとはしけり
                    曽呂利新左門
イヤハヤ大したものではありませんか。
 いつまでたっても四畳半式の考えにせぐくるまり、それも次第に目の先三寸の算段にちじこまる手合いは、その近眼メガネをふっと
はきれてしまいます。
 小さな、しみったれたおのれー個のことがらで、トグロを巻く者は、「世界はわが教区」と喝破したウェスレーなみのビジョンをかかげたいものです。
 あのエルサレムの都だけで満足しょぅとしていた弟子たちは、
 「エルサレム、ユダヤとサマリャの全土、および地の果てにま
 でわたしの証人となります。」
と、主イエスに押し出されました <新約聖書・使徒1・8〉。
 きょうも、祖国をあとに、海を越え、山を越えて、南に北に雄飛
している宣教師の姿を見たならば秀吉さんはなんと云うことでしょう。

伝道者になる ヨハネ 4:27~38

2009 年 8 月 30 日 日曜日

「来て、見て下さい。」            ヨハネ4:29
イエスのサマリヤ伝道のつづきです。井戸端でサマリヤの女と語り合っているところに、町に買い物にでかけていた弟子たちが帰ってきます。
 今と、違って男女が外で親しく話しあうなんて考えられない時代でした。しかも、イエスが不仲なサマリヤ女と、しかも不身持ちの女と語り合っている、弟子たちが、それを知ったら腰を抜かしてしまう場面です。 »続きを読む